江戸と東京。朱引、墨引

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江戸と東京の違い

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東京23区と江戸の範囲を混同してしまう事が多々あります。

江戸時代に幕府が指定した江戸城下、将軍家の領地としての江戸は朱引で範囲を決められており、その範囲内が江戸と言う事になっていました。

朱引、墨引

また、墨引と言う範囲もあり、そちらは町奉行所の支配内の事を指します。

江戸城築城以来、江戸の市域は拡大を続け、19世紀初頭にはすでに、その範囲は不明確となっていた。幕府目付・牧野助左衛門(まきのすけざえもん)は1818年(文政元年)8月、市域の確定を求める「御府内外境筋之儀」についての伺いを出し、それを受けて同年12月、老中安部正精(あべまさきよ)によって示された幕府の見解が朱引である。「旧江戸朱引内図」(1818年、東京都公文書館所蔵)はこの答申に基づいて作成され[2]、江戸の範囲はその地図上に、江戸城を中心とする朱色の線(朱引線)で囲まれた区域として示されている。
これは、歴史上初めて正式に示された江戸市域(大江戸)の範囲であり、「朱引内(しゅびきうち),」、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれる。この外側は朱引外(しゅびきそと)と呼ばれる。

出典:wikipedia
とあります。
範囲は下図の通りです

また朱引きの範囲を

朱引の範囲(大江戸)は、「四里四方」といわれ、東は平井、亀戸周辺、西は代々木、角筈周辺、南は品川周辺、北は千住・板橋周辺までである。
現在の行政区画では次の範囲に相当する。
ほぼ全域
千代田区、中央区、港区、文京区、台東区
境界域
江東区 (亀戸まで)
墨田区 (木下、墨田村まで)
荒川区 (千住まで)
北区 (滝野川村まで)
豊島区、板橋区 (板橋村まで)
渋谷区 (代々木村まで)
新宿区 (角筈村、戸塚村まで)
品川区 (南品川宿まで)

出典:wikipedia
とされています。

山手と下町

江戸から東京へと変わり、年月が過ぎ在り方や街の価値も変化しましたが、今でも山手エリアと下町エリアの意識は残っています。
大まかに千代田区(一部)文京区以西が山手、中央区台東区以東が下町にあたります。
つまり山手は高台、下町とは文字通り低地をさしております。

山手にはお屋敷が多く武家が暮らし、下町では商売が行われ町人が暮らしていました。
ですので街の様子、雰囲気も自ずと違うものを感じさせてくれます。
新たに暮らしたい街、散策を考えている街も、江戸の在り方に考えを巡らせてより豊かに東京の街を楽しみたいものです。

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