東海道の玄関口。品川宿の鎮守「品川神社」

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東京十社「品川神社」


品川神社の境内
出典:findtravel
東京十社の1つにも数えられ、江戸時代には東海道の旅の最初の宿場、”品川宿”を鎮守していました。
また、品川は当時富士塚が多くあり、富士信仰が盛んだった様です。品川神社にも境内に浅間神社があり、明治期には立派な富士塚が作られました

文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まると伝えられる。
室町時代以降も土地の豪族や豪商の庇護を受け、天正19年(1591年)には、徳川家康から5石の社領の朱印を受け、寛永14年(1637年)に三代徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜った。また、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守として江戸幕府の庇護を受けた。

出典:wikipedia

品川富士

世界でももっとも美しい山の一つとして知られる富士山。江戸時代には富士山を神様と見立てて「富士講」「富士信仰」と言われる信仰がありました。

富士講

富士講の活動は、定期的に行われる「オガミ(拝み)」とよばれる行事と富士登山(富士詣)から成っている。オガミにおいて、彼らは勤行教典「オツタエ(お伝え)」を読み、「オガミダンス(拝み箪笥)」とよばれる組み立て式の祭壇を用いて「オタキアゲ(お焚き上げ)」をする。
また信仰の拠りどころとして石や土を盛って富士山の神を祀った富士塚(自然の山を代用することもある)を築く。

出典:wikipedia
富士塚は現在も都内80ヶ所ほど残っており、当時は手軽に富士詣が出来るとあって庶民の間で流行していたそうです。
品川神社の富士塚
出典:トリップアドバイザー
品川富士からの眺望。辺りは低く大変見晴らしが良いです。
品川富士からの眺め
品川富士、山道口
富士塚を山道口と逆川に下ると浅間神社があります。
品川神社の浅間神社
出典:wikipedia

阿那稲荷社の金運祈願「一粒萬倍の泉」

米は一粒の種より萬倍の稲穂となるとの謂れからこちらの霊水を印鑑や銭に注ぐと金運上昇との事です。また霊水を持ち帰り、家や店の四隅に霊水を注ぐと良いそうです。
パワースポットとして非常に人気の高いようです。
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出典:トリップアドバイザー

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東海七福神の大黒天

品川神社は東海七福神の1つにもなっており、大黒天像が祀られています。
東海七福神「大黒天」

品川神社例大祭

毎年6月上旬の金・土・日に行われる例大祭は、荏原神社の「南の天王祭」に対して「北の天王祭」とも呼ばれています。東京都指定無形民俗文化財の品川神社太々神楽の品川拍子の独特の拍子で神輿が練り歩きます。
クライマックスとも言える傾斜の厳しい、品川神社の階段を神輿を担ぎながら上り下りする様は圧巻でうs。
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出典:http://ichinokura.com/
東京都指定無形民俗文化財の品川神社太々神楽
品川神社の神楽
出典:wikipedia

江戸時代の宿場町

江戸時代は宿場として栄えた品川ですが、現在は高層マンションや大規模オフィス、ハイグレードホテル等大分様相を変化させて来た街だと思います。
しかし品川神社や近隣商店街には人と町の暖かさが残り、江戸時代を彷彿とさせる雰囲気があり散策にはとても向いていると感じました。

江戸四宿。五街道の最初の中継地 | 暮 ら す
日本橋から四宿 江戸時代の交通手段は徒歩に限られていました。 旅をする際、遠隔地に訪れる為に五街道の利用は必須条件だったと言えます。 日本橋から東海道を2里(約8km)に品川宿 日本橋から奥州道を2里8町(約9km)に千住宿 日本橋から中山道を2里半(約10km)に板橋宿 日本橋から甲州道を2里(約8km)に内藤新宿 が設置され、これら4つ宿場町を”江戸四宿”と呼びました。 スポンサーリンク 品川宿 北品川~南品川に栄えた四宿の中でも旅籠数も一番多い品川宿は江戸時代には吉原と並ぶと言われた歓楽街でした。 鎌倉時代末には目黒川河口の湊(みなと)として栄えていました。また戦国時代には品川は宿場町として栄えていたことが確認されています。 成立:慶長6年(1601年) 江戸四宿内でお住まいをお探しの方はコチラまで 千住宿 初代家康が縁深い日光への奥州道中に入府後4年で千住大橋を架橋。その軍事的な防衛箇所の意味合いも持って千住宿は開発されました。 俳人松尾芭蕉も千住宿から奥州道中を旅立たれたり、今日も江戸の名所が残されており非常に文化的です。この話題については後日書こうと思います。 成立:慶長2年(1597年) 板橋宿 中山道は比較的難所が少なく賑わったそうです。その中山道の最初の宿場が板橋宿です。 板橋の地名は石神井川に架かる橋の名前から来ていますが、この板橋は石神井川の豊かな流れを伴い鎌倉時代からの名所とされていました。 成立:慶長6~9年(1601~1604年)頃 内藤新宿 甲州道中の1番目の宿場は元々高井戸宿でしたが、あまりにも遠い為高遠藩内藤家の地を利用した宿場町を新しく開設しました。名前もそのまま内藤新宿と呼ばれ四宿の中では新しくもっとも小さい宿場ですが遊興地として非常に人気があった宿場町です。 成立:元禄11年(1698年)頃 スポンサーリンク 宿場のサービス 問屋場 公人のために人足、駕籠、馬などを貸し出ししていた施設。料金を支払えば一般の旅人も利用可能でした。 本陣 参勤交代時に大名や旗本が宿泊した宿の事。幕府公認。格式高い内装でしたが、空室がある場合一般の旅人も泊まる事が出来たそうです。 旅籠 一般の旅人向けの宿屋。夕食と朝食が出る所謂「一泊二食付き」のスタイル。飯盛女が酒食を給仕する場合もありました。 木賃宿

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