深川の総氏神。東京八幡信仰の中心「富岡八幡宮」

東京十社「富岡八幡宮」


富岡八幡宮の御本殿
東京十社の1つにも数えられ、江戸時代から江戸でも流行した八幡信仰の中心を担った富岡八幡宮。

 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

出典:富岡八幡宮
とあります。

八幡信仰

現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に示顕したと伝わる[3]。応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている。また、神社によっては八幡三神のうち、比売神や、神功皇后に代えて仲哀天皇や、武内宿禰、玉依姫命を祀っている神社も多くある。

出典:wikipedia
富岡八幡の境内

江戸勧進相撲発祥の地

江戸勧進相撲発祥の地として有名です。
トラブルが多くしばしば禁令が出ていましたが、禁令が緩んだ貞享元年(1684年)に幕府より年に2場所の勧進相撲の興行が認められました。
その後定期興行や番付制度が確立され、回向院へと興行が移り現在の大相撲へと繋がって行きました。
横綱力士碑

明治33年に歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。初代~67代までの横綱の四股名が刻まれています。
横綱力士碑

参道までの遊歩道、音無親水公園

神社下には石神井川が流れていますが、この当たりでは音無川と呼ばれ愛されています。

音無親水公園
参道の石階段

黄金大神輿

なんと純金を24kg使用している日本一の黄金神輿です。
鳳凰等の飾りにもダイヤやプラチナなどの宝石が多数利用されている煌びやかな神輿です。

富岡八幡宮の黄金大神輿

深川八幡祭

深川八幡祭と呼ばれる富岡八幡宮の例祭は神田祭、山王祭と並び
江戸三大祭りの1つに数えられ、10万人以上が集まるお祭りです。
別名「水掛祭り」と呼ばれる通り沿道から担ぎ手に水が掛けられる活気のあるお祭りです。
水掛で参加する事で観衆と担ぎ手が一体となり大変盛り上がります。
富岡八幡宮例大祭
出典:koto-kanko.jp

伊能忠敬像

徒で全国を測量して日本で始めて正確な地図を作成した伊能忠敬は深川に住まい、
測量に訪れる前には必ず富岡八幡宮に参拝していたそうです。
その縁から富岡八幡宮には伊能忠敬の銅像が建てられました。
伊能忠敬像伊能忠敬像

深川不動堂の出開帳

江戸時代に庶民信仰の的として成田山新勝寺が商人を中心に人気を得、
さらに歌舞伎の市川團十郎が屋号を成田屋にするほど熱心に信仰しており、
それが更に成田不動尊信仰に拍車を掛けました。

そこで富岡八幡宮の別当寺である永代寺が出開帳を行いました。

深川不動堂深川不動堂の本堂深川不動堂

江戸時代から続く深川と言う歓楽街

隅田川を挟み、江戸城下とは一味違う趣を持った深川は日本橋などの下町や浅草上野などの寺町とは違う雰囲気があります。
時代小説やドラマでも良く舞台として登場する深川。
大川(隅田川)を挟んだ環境の差を感じながら富岡八幡宮を参拝されると楽しいかもしれません。

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