江戸四宿。五街道の最初の中継地

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日本橋から四宿

品川宿
江戸時代の交通手段は徒歩に限られていました。
旅をする際、遠隔地に訪れる為に五街道の利用は必須条件だったと言えます。

  • 日本橋から東海道を2里(約8km)に品川宿
  • 日本橋から奥州道を2里8町(約9km)に千住宿
  • 日本橋から中山道を2里半(約10km)に板橋宿
  • 日本橋から甲州道を2里(約8km)に内藤新宿

が設置され、これら4つ宿場町を”江戸四宿”と呼びました。

品川宿

品川宿
北品川~南品川に栄えた四宿の中でも旅籠数も一番多い品川宿は江戸時代には吉原と並ぶと言われた歓楽街でした。
鎌倉時代末には目黒川河口の湊(みなと)として栄えていました。また戦国時代には品川は宿場町として栄えていたことが確認されています。
成立:慶長6年(1601年)

千住宿

千住宿
初代家康が縁深い日光への奥州道中に入府後4年で千住大橋を架橋。その軍事的な防衛箇所の意味合いも持って千住宿は開発されました。
俳人松尾芭蕉も千住宿から奥州道中を旅立たれたり、今日も江戸の名所が残されており非常に文化的です。この話題については後日書こうと思います。
成立:慶長2年(1597年)

板橋宿

板橋宿
中山道は比較的難所が少なく賑わったそうです。その中山道の最初の宿場が板橋宿です。
板橋の地名は石神井川に架かる橋の名前から来ていますが、この板橋は石神井川の豊かな流れを伴い鎌倉時代からの名所とされていました。
成立:慶長6~9年(1601~1604年)頃

内藤新宿

内藤新宿
甲州道中の1番目の宿場は元々高井戸宿でしたが、あまりにも遠い為高遠藩内藤家の地を利用した宿場町を新しく開設しました。名前もそのまま内藤新宿と呼ばれ四宿の中では新しくもっとも小さい宿場ですが遊興地として非常に人気があった宿場町です。
成立:元禄11年(1698年)頃

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宿場のサービス

問屋場

公人のために人足、駕籠、馬などを貸し出ししていた施設。料金を支払えば一般の旅人も利用可能でした。

本陣

参勤交代時に大名や旗本が宿泊した宿の事。幕府公認。格式高い内装でしたが、空室がある場合一般の旅人も泊まる事が出来たそうです。

旅籠

一般の旅人向けの宿屋。夕食と朝食が出る所謂「一泊二食付き」のスタイル。飯盛女が酒食を給仕する場合もありました。

木賃宿

持ち込みの米で自炊する素泊まり宿。板張りの床に寝るだけの宿で格安で泊まれました。ですので修行僧等が主に利用していたようです。

宿場の発展。旅籠の遊郭化

平旅籠と飯盛旅籠

四宿が遊興地として発展してくると宿屋として機能していた旅籠が平旅籠と飯盛旅籠の2つに分かれました。

平旅籠

一般の旅客が宿泊する為の旅籠

飯盛旅籠

狭い土間の奥の板の間に格子があり、その奥に飯盛女が並んで遊女として客を取った。

この飯盛旅籠は岡場所と呼ばれ、幕府公認の吉原より気軽に遊べるとして主に町人に人気が出ました。
岡場所は幕府の黙認で運営されていましたが、風紀が乱れるという欠点もあり、幕府は定期的に取り締まりを行いましたが、飯盛女は年々増加したそうです。

現在の新宿の歓楽街や、少しずれますが品川の高層ビル群等江戸時代の下地を考えると、四宿近辺の発展はとても興味深く感じます。

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